2012年06月16日
「あ」はあじさいの「あ」
青いあじさいが好きだ。
一方、がくあじさいは苦手だった。
子どもの頃、初めてがくあじさいを見た時、いつか真中の地味なところも花びら(正確には花びらではなく萼(がく)ですが)が開いて、よく見るあじさいのようにこんもりとなると思っていた。
毎日、毎日、いつか、いつか、と楽しみにしていたら、そのまま花は終わってしまった。
線香花火に火をつけたとたんに、火の球が落ちてしまったような、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートが『ラデツキー行進曲』なしで終わってしまったような。
「この先があると楽しみにしていたら、終わっちゃた花」だったのが、がくあじさい。
そんなあじさいの季節。
小平市立あじさい公園の、あじさいには早い季節から始まる動画を作成してみた。
最近は、がくあじさいの風情も悪くないなと思える。
音楽はJ.S.バッハ作曲 フルートソナタ第2番 変ホ長調
第2楽章 『シチリアーノ』。
シチリアーノとは「シチリア風の」というような意味。
一方、あじさいは日本が原産国。
しかしこの曲を聴くと、重たげに満開のあじさいが浮かんでくる。
青いあじさいが好きだ。
その理由は、長いこと自分にもわからなかった。
今日、青いあじさいの写真を撮りながら、ふと思った。
「青空の色に似てる」
雨のこの季節、空を見上げてもなかなか青空に出会えない。
しかし、見えないと思っていた青空はこんなに近くで咲いていた。
だから、青いあじさいが特別に好きだったのかもしれない。
だから、しばらくは地上に降りた空色を楽しもう。
青空が空に還ったら、こんなに近くで見ることはかなわないのだから。
一方、がくあじさいは苦手だった。
子どもの頃、初めてがくあじさいを見た時、いつか真中の地味なところも花びら(正確には花びらではなく萼(がく)ですが)が開いて、よく見るあじさいのようにこんもりとなると思っていた。
毎日、毎日、いつか、いつか、と楽しみにしていたら、そのまま花は終わってしまった。
線香花火に火をつけたとたんに、火の球が落ちてしまったような、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートが『ラデツキー行進曲』なしで終わってしまったような。
「この先があると楽しみにしていたら、終わっちゃた花」だったのが、がくあじさい。
そんなあじさいの季節。
小平市立あじさい公園の、あじさいには早い季節から始まる動画を作成してみた。
最近は、がくあじさいの風情も悪くないなと思える。
音楽はJ.S.バッハ作曲 フルートソナタ第2番 変ホ長調
第2楽章 『シチリアーノ』。
シチリアーノとは「シチリア風の」というような意味。
一方、あじさいは日本が原産国。
しかしこの曲を聴くと、重たげに満開のあじさいが浮かんでくる。
青いあじさいが好きだ。
その理由は、長いこと自分にもわからなかった。
今日、青いあじさいの写真を撮りながら、ふと思った。
「青空の色に似てる」
雨のこの季節、空を見上げてもなかなか青空に出会えない。
しかし、見えないと思っていた青空はこんなに近くで咲いていた。
だから、青いあじさいが特別に好きだったのかもしれない。
だから、しばらくは地上に降りた空色を楽しもう。
青空が空に還ったら、こんなに近くで見ることはかなわないのだから。